『私のなかの彼女』(角田光代)感想 ー 女の生き方とは?女の幸せとは?

読書

作者の角田光代さんは1967(昭和42)年神奈川県生れ。2005年『対岸の彼女』で直木賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞を受賞。標題の『私のなかの彼女』は2014年に河合隼雄物語賞を受賞しました。私は過去に『紙の月』を書籍と映画で拝見しました。この作品もストーリーが面白く、結末が気になって一気に読んだ記憶があるのですが、なんと言ったらいいのかわからないですが、じっとりとした、もっとどうにかできなかったのかという後悔のような読後感が印象的でした。

そのため角田さんの作品はきっと複雑な感情を掻き立ててモヤモヤさせられるに違いないと思いながら手に取った『私のなかの彼女』です。ミステリーが好きな今までの私だったら、おそらく『八日目の蝉』を先に読んでいたんじゃないかと思います。でもなぜこちらの作品が気になったかというと、最近「女性の生き方」について考えることが多くなったから。

私がアラサーという微妙な年齢になってきて、周りの友人知人らのライフステージも様々になってきました。結婚している人、子供がいる人、子供がいない人、独身を貫く人、婚活に励む人・・・私は今は独身でしばらく独り身を謳歌しようかと思っていたら、友人に「そんなことしてたら子供産めなくなるよ」なんて釘を刺されたり。あれ?女の幸せってやっぱり結婚して子供産むことなのかな?全然実感が湧かない。30過ぎても好きなことしていたいなんて言っていたらおかしいのかな?などと考えていました。

そんな流れで、一人の女性の人生を覗くつもりで読み始めました。

この本がおすすめの人

  • 女性の生き方について興味がある人
  • 作家という職業に興味がある人
  • 人間の暗い部分・狂気に興味がある人
  • 何かを成し遂げたいと思っているが壁にぶち当たっている人
  • 生きるってなんだろうと思っている人

おすすめ度 ★★★★☆

舞台は昭和の終わり〜現代にかけて。主人公の本田和歌の学生〜40歳くらいまでの間の物語です。特に将来の夢もなく、恋人の仙太郎とのいつか結婚するんだろうとぼんやり生きていた和歌は、ある日自分の祖母が小説家志望だったと知ります。実家の蔵で祖母の小説や手紙を発見するも、結婚後に物書きをやめてしまった以上のことはわからないまま。その後祖母がそうなってしまった経緯を調べつつも月日は流れ、和歌は祖母の生き方にインスピレーションを受けた小説を書き作家になります。

作家としての下地がないことに不安を抱きつつも、「書く」ということに夢中になる和歌。でも彼女の母は、女の幸せは結婚して出産して家庭を持つことだと言い、恋人の仙太郎も物書きにのめり込む和歌にその時々で釘を刺す。祖母がなぜ小説家を諦めてしまったのか、その理由を理解した時、和歌は・・・

というあらすじです。

ネタバレになるので嫌な方はここを見ないでいただきたいのですが、とても印象に残っていてる和歌の心象があります。

途中で和歌は仙太郎との子供を妊娠しますが、流産してしまいます。それがきっかけで仙太郎との別れの道を辿るのですが、そこの和歌の気持ちがなんとも言えなくて。二人は長年付き合っているが結婚の約束をしておらず、和歌への意思確認もなく妊娠してしまいました。その時和歌は仕事に専念したい時期でした。お腹に子供を宿している実感のないまま作家の仕事に忙殺されて、流産にいたってしまいます。望まない時期に妊娠し、「これは喜ぶべきことだ」と自分に言い聞かせ、流産すると身勝手な恋人に罵られる。ここでも「女は子供を産んでこそ幸せ」という呪いのようなものがのしかかります。あ、妊娠出産を否定している訳ではありません。私も子供は好きですし。ただ、和歌の意思と関係なくそういうものだと決められていくことに女の人生ってなんだろう?と思ったのです。それは和歌の祖母の道筋を辿る時も同様。

仙太郎と対等になりたいと、小説を書くことに夢中になり、情熱を注ぐ和歌。作家としての自信が持てず、祖母の軌跡を追いながら、私も才能とは、情熱とは、女とはなんだろうと思いました。和歌が20代前半を過ごしたバブルが終わって、女性が社会進出し、男女が平等になるべきという世の中に変わっていきつつも、和歌の母や周りの環境は自立した女性・自己実現を目指す女性よりも家庭的な女性を求めているように見えます。今の時代でも、女性が働きやすい世の中になってきているとはいえ、自分の夢と家庭とに悩む女性はたくさんいると思います。

最後、和歌に対して特別な幸せが待っている訳でもありません。ただ、淡々と作家としての道を模索していきます。でも特別な幸せが待っているフィクションよりも、とても勇気付けられるような、私の生きてきた道までも肯定されたような現実味のある結末です。「生きるってこういうことかもしれない」というような。

話がちょっと逸れますが、昔友人に「君はミッション型の人生観だね」と言われたことがあります。他はなんだったか忘れてしまったのですが、ミッション型の人生観とは、自分の人生において「何か成し得なければならない/自分には使命がある」と考えるタイプの人のことだそうです。とくに成し得ることもなさそうな取り柄のない人間ですが・・・(笑)確かに私はこのままでいいのだろうか、このまま人生を終えて後悔しないだろうかとよく考えます。

そんな風に自分の人生を真面目に捉えて悩むことがある人にもこの小説を読んでみていただきたいです。そして、この小説を読んだ後に思い出したある一節も一緒に紹介しておきますね。

叶うばかりが恋ではないように、みごと花と散ることもかなわず。ただ追いさらばれて枯れてゆくだけの人生にも、意味はあるのかもしれない。

村山由佳著『星々の船』

作品は読んだことがないのですが、たまたま見つけてメモしていた言葉です。『私のなかの彼女』のストーリーとは全く異なる言葉ですが、「生きるってこういうことかもしれない」という感覚が近いなと思いました。ミッション型の私にはそんな人生もあるさとちょっと肩の力を抜くのにちょうどいいです。

もし気になったら、和歌と祖母と、別の時代を生きた二人の女性の生き方を読んでみてください。

読書
スポンサーリンク
FLO CAFE
タイトルとURLをコピーしました